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鉄釉作品の簡単な歴史
[2026/10/10]

10月に入って雨が止み、過ごしやすい季節となりました。散歩をしても気持ちが良いので外出がちです。
写真は萩焼の向付と志戸呂焼の天目茶碗。どちらも鉄釉を使った作品です。向付は江戸時代中期、茶碗は明治時代の作品ですが鉄釉作品といっても雰囲気が違います。鉄釉陶は黒・黒褐・茶色などの酸化鉄を呈色剤とする施釉陶器の総称で、日本では鎌倉から室町時代に瀬戸で焼かれ、江戸時代に入ると多様な作品が製作されるようになりました。鉄釉作品は暖色のため春や夏には暑苦しさが伴い敬遠されがちですが、秋が深まってくると温かさを感じることができるので使用頻度が増えます。漆器も同様です。
ところで、日本人が使用した鉄の歴史を見ると日本文化を垣間見ることができます。漆器の黒は鉄粉などを漆に混ぜて黒く発色させます。この技法は縄文時代に考案された技法です。日本人は数千年間に渡って鉄釉の器を使用していたことになります。現在でも輪島塗などの黒漆器は日本人には身近な食器です。
茶道の歴史を見ると、舶来物の宋時代の天目茶碗の使用を経て、桃山時代に楽焼などの和風茶陶が形成されていくことがわかります。さらに武具を必要としていた戦国時代から、平和な江戸時代に移るとストイックな侘茶から開放的な茶道に流行が移ります。それを決定づけたのが「きれい錆び」を確立した小堀遠州。写真の萩焼茶碗は釉薬が掛け流されているのでまだ野趣味が残っていますが、遠州七窯の一つである志戸呂焼の茶碗は洗練されています。茶道具を野趣味から均整の取れた意匠に変化させたのが小堀遠州でした。
同じ鉄絵作品でも作られた時期や産地が変わると雰囲気が変わります。鉄絵の歴史を認知しながら古美術品と接すると、作品の向こうに好みや時代が広がっていることが理解できます。

萩焼向付 幅 約●cm/高さ 約●cm
志戸呂焼茶碗 幅 約●cm/高さ 約●cm

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正月のねずみ騒動
[2026/10/03]

毎年10月になると、ブログで神無月のことを取り上げます。昨年10月4日のブログを見ると、「自民党の体制も変わり、季節と共に社会も変化していくようです」とありましたが、高市政権が発足して早1年、時の経つのは早いものです。
「神無月」は毎年10月、出雲に神様が集まり、全国から神様がいなくなることに由来します。一方、出雲地方の10月の呼び名は「神在月」。この月に全国の神様が出雲に集合するというわけです。

ところで今年の正月の夜、台所で食事をしていると目の前を1匹のねずみが横切っていきました。正月からねずみを見るなど縁起が良いと考え、そのままにしていたのですが、家に帰省した家族にそのことを話して「ねずみ飼う?」と聞くと、「何を馬鹿なことを言っているの。ねずみは病原体を運ぶので早く駆除しないとダメ」と叱られました。それからネットで駆除の方法を探し、実際に罠などを仕掛けてみたのですが、最近のねずみは賢いのか一向に捕まらない。そのうち、1匹だと思っていたねずみは3匹いることがわかり、我が家はねずみの運動場と化しました。2週間、あの手この手と四苦八苦しましたが全く効果なく、友人に相談すると、「罠を仕掛けても無駄。ねずみを駆除するには食べ物のある場所を徹底的に封鎖する」と教えてくれました。それを実行した結果、数日間で3匹のねずみは我が家を去りました。
写真は瀬戸焼のねずみの水滴と森寛斎の大黒天の軸。江戸時代、ねずみは大黒天の使いとして描かれていること多く、吉祥の印でした。しかし、近代衛生学が発達するとねずみは病原菌を運ぶ悪者。また、日本人の米の摂取量が減るとともに俵の神様である大黒天も家の中に飾られなくなりました。
私は古美術商なので、いまだに大黒天とねずみが描かれた作品を吉祥として扱いますが、多くの女性はねずみといえばミッキーマウス。時代が変われば、ねずみの表現方法も変わるようです。2つの作品を見ると、かつての日本人がねずみをどのような存在であると考えていたか想像できて面白いですね。

軸サイズ 縦横 162cm×84cm
ネズミの水滴 高さ 約5.3cm/幅 約4.7cm×9.6cm

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